そろばんだろうと言う勿れ
21 Jul 2025
文:佐久友基
ラテン語は、なぜあれほどまでに好ましい感じがするのでしょう。ブランド名や商品名などに付く、「ラテン語で×××を意味する〜」といった枕詞の多さたるや。私の体感では、歯医者とコンビニの次くらいにラテン語をよく見かけます。
例えば、香水の名前など3つに1つくらいはそうではないでしょうか。ファッションの分野でもよく見かけますね。伝説の元祖アルチザンブランド「カルペディエム」が、「今を生きろ」という意味のラテン語である事は有名です。(日本資本で現在も運営されているようですが、名前以外は全く別のブランドになっており、文字通り「今を生きているな」と思いました。)
起源である古代ローマ文化が持つ、知的な印象に拠るところがやはり大きいのでしょうか。特にファッションやビューティは、イメージを売り物にする産業ですから、もってこいなのでしょう。ただ、これは何も現代に始まったことではないようで、ラテン語には「Quidquid latine dictum sit, altum videtur.(ラテン語で言うと何でも高尚に聞こえる。)」という言葉があるそう。ローマンジョークですね。

さて、今回はまさにそのラテン語を冠した生地を紹介します。SMITH WOLLENSの「ABACUS」です。同ミルはイギリスを代表する老舗の一つであり、玉虫色に光るソラーロという生地の産みの親。「ABACUS」はそんな名門らしい燻し銀な一冊だと思います。
通気性の良い平織りに、”サハラフィニッシュ”という独自の仕上げを施しており、触感はかなりドライな印象です。ただ、目付が300〜320gと、似たタッチの生地と比べてやや重め。その影響もあってか、クリスピーな中にもコシを感じます。この塩梅、なかなか他で見つからないと感じました。

トロピカル過ぎず、場面や季節をあまり問わない表情の生地だと思います。当店で揃えるバンチの中でも特にマットなテクスチャーで、スーツだけでなく、ジャケットあるいはトラウザーズ単体でのご利用にも最適です。
高温多湿で夏が間延びした日本の気候においては、このような春から秋の3シーズン用の合物が最も汎用性が高いということは、以前から重ねて申し上げてきました。中でもこの生地はその筆頭と言えるかもしれません。

しかし、ただ便利なだけで終わらないのが「ABACUS」の面白さ。色柄のラインナップが一筋縄ではいかないのです。バンチ全体のムードが表れる冒頭のパートには、グリーンやブラウンのプリンスオブウェールズ、ウィンドウチェックが登場。この一冊がダークスーツの美学だけでなく、例えば”スポーツ”に生きる遊び心といった、ブリティッシュスタイルの多面性を表現していることが分かります。

その他にも、ブラウンのカラーストライプや、カントリー風の赤いオーバーペンなど遊び心のある色柄が随所に見られます。無地においても、美しいブラウンのグラデーションが印象的です。

もちろん、よりシンプルで落ち着いた印象の生地も揃っています。ハリソンズグループらしいブルーやグレーの繊細なシェードは、スーツ派の方にとって一番の見どころかもしれません。クラシックなピンヘッドもかなり渋い仕上がりで、個人的には最も気に入っているパートです。おすすめです。

いかがでしょうか。日本の気候に適した目付や物性と、装いの楽しさを兼ね備えた生地です。SHEETSの仕立てとの相性も良さそうな印象で、新たな定番となるのではと感じています。真冬以外は着られるかと思いますので、ご注文のタイミングを選ばないのも嬉しいところです。
ちなみに、「ABACUS」はラテン語で計算機を意味するのだそう。ピンと来ずに由来を調べてみたところ、『ローマ時代に使用された計算機からインスピレーションを得たネーミングは歴史から未来へと繋がる「今」に於いて輝きを放つ、魅力的な服地への探求を表しています』とされていました。
シティにもカントリーにも振り切らず、生活の多様な在り方を包括するバンチのあり方は、確かに現代的と言えるかもしれません。神話の酒の神と勘違いしていた自分が恥ずかしいです。それでは、また次回。