
ダニエル・クレイグがドレスを着る日
29 Jun 2025
文:佐久友基
私は、男性として生まれ男性として生きている男性ですが、メンズのファッションよりもウィメンズのそれをを見ることの方がずっと好きです。理由は単純で、ウィメンズにはおよそ服とされる物の全てがあり、メンズにはそのうち丁度半分しか許されていないからです。
私は装いにおけるジェンダー観について平均よりは少し進んでいる方だとは思いますが、スカートにはまだ脚を通せていませんし、ヒールのある靴を履くのに一切の気負いを要さないとは言えません。一般的に言えば、ピンクを着ることにさえ勇気がいるという男性は少なくないでしょう。しかし、男性がピンクを恐れなくてはならない理由について、合理的な説明はきっとでません。男性の装いを、或いは男性の生き方そのものを制約する奇妙な価値観、その解体を試みたディオールの最新コレクションについて、今回はお話したいと思います。
ジョナサン・アンダーソンのディオール就任。この数ヶ月、ファッション業界はこの話題で持ちきりでした。ロエベで過去10年のうち類を見ない成功を収めたスターが、フランスを、ひいてはモード界を象徴するブランドをどう調理するのか。コレクション発表までの間、誰もがその一挙手一投足に釘付けとなり、公開されるティザーの中にそのヒントを嗅ぎつけては議論が巻き起こりました。それは例えるならば、フランク・オーシャンが新譜を(本当に)発表しても敵わないほどの、コミュニティを揺るがすカルト的な熱狂具合です。

J.W ANDERSON 2013年秋冬 / LOEWE 2024年春夏
このほど遂に発表された彼の初のコレクションは、遊び心のある気取らないスタイルでありながら、非常にラディカルなアイデアを内包した、ジョナサンらしい素晴らしいものだったと思います。モードを司る者の社会に対する責任を果たそうとする、自己目的化していないデザインであり、一つの明らかな声明でありました。つまり、「男性性の解放」という彼が自身のレーベルやロエベで一貫して取り組んできた挑戦が、フェミニティと密接に結びつくモードの本丸・ディオールにおいて更に進展したことを感じたのです。
今回のコレクションでジョナサンが徹底したことは、フォーマルウェアや女性服といった、男性に何らかの制約を課す類の衣服をその文脈から切り離し、彼のフィルターを通じて自由にコラージュし提示することでした。例えば、ショーの先陣を切ったこのファーストルック。ディオールの最も重要な遺産であるバージャケットを、自身のルーツであるアイルランドのドネガルツイードで仕立てています。当店でもW.Billのバンチなどで扱いのある、クラシックなメンズスタイルには欠かせない生地の一つですね。野趣あふれるカントリー調のそれを、ウィメンズのフォーマルウェアに合わせることで、その記号を解体したわけです。また、フォルムや仕立てについても元祖のそれとは異なり、パッドを用いずにカットと芯地のみで、象徴的なヒップの曲線を緩やかに表現するなど、クラシックなテーラードスタイルとの融和を図っているようでした。
合わせた白のカーゴパンツには、ムッシュ・ディオールが手がけた1948年のドレスから引用した、生地を大きく折り畳んだラッフルのディテールが見られます。ブランドの過去のドレスからの引用は、他にもデニムのジーンズやカジュアルなハーフパンツに落とし込まれたそう。これもまた、長らく女性専用であったクチュールライクなデザインを、男性の日常的な生活に溶け込ませるという試みなのだろうと思います。
そうした取り組みはフォーマルウェアで特に顕著でした。例えばモーニングには褪せたジーンズやサンダルを合わせ、テイルコートはバックを短くカットされ、ウイングカラーのシャツにはパジャマのような縁取りをあしらうといった具合です。
その中でも特に私が重要な要素と感じたものが、ネックバンド状にアレンジされたクラヴァットと、色鮮やかで装飾的なデザインのジレです。これらをフランス語に基づいて表記したことには理由があります。18世紀のフランスの、そしてヨーロッパ中に広まっていた男性の正装、アビ・ア・ラ・フランセーズからの引用であると考えられるからです。日本人にも馴染みのあるところで言えば、「ヴェルサイユのばら」の時代の服といえば分かりやすいでしょうか。フロックコートのような長い上着とハーフ丈のパンツ、そして豪華な刺繍などを施した派手なジレを組み合わせたスタイルです。そしてシャツの襟元にはクラヴァットをボリュームたっぷりに巻いていました。
そして、そこから19世紀の初頭にかけての時代は、メンズファッションの歴史において非常に重要なのです。なぜなら、男性服がそれ以降とは比較にならないほど華やかであった、最後の時代であるからです。
以前このブログでもご紹介した元祖ダンディ、ボー・ブランメルが起こしたメンズファッションの大変革は、革命と戦争を経たヨーロッパの覇権をイギリスが握ったことで、その全土に広がっていきます。彼は男性服から要素を削り単純化し、「洗練」という曖昧な階級コードを持ち込むことで、排他的なスタイルを作り上げました。それは貴族的な価値観への強烈なカウンターであり、財産も家柄も持たないからこそ生まれた、苦心の末のレトリックとも言えるものだったのです。しかし、それは社会に浸透していく過程で当初の鋭い精神性を失い、形式にのみ還元されてしまいました。かくして、男性服は色彩と装飾の可能性を大きく減じたというわけです。
つまり、前述のクラヴァットとジレは、メンズウェアがより自由であった時代の遺物であり、現代の男性に「装うことの喜び」を取り戻す旗印だと言えるのです。そしてそれは、昨今議論される有害な男性性の問題に対して、ジョナサンが見ている光なのではないかと想像しています。ダンディズムの勃興のあと男性服から失われたものは、まさしくその後の時代において「女性的」とされている要素です。それらを排除すべきものと見做す価値観が支配的になり、装いという実践を通じて「男性はこうあるべき」という規範の内面化がさらに進んだという見方は、決して的外れではないのです。
今回のコレクションでは、そうした18世紀のフランスの貴族的なスタイルを現代のカジュアルウェアと巧みに組み合わせていました。ジーンズと手仕事の詰まった煌びやかなジレを同等に並置したのです。この力みのない主張は、ゆっくりと静かに、けれど確かに社会を変えるのではないかと感じます。更にもう一つ重要なことは、このショーを締め括った最後のルックが、極めてシンプルなグレーフランネルのスーツだということです。つまり、全ては等価なのです。ピンク、クラヴァット、イブニングウェア、Tシャツ、ジーンズ、ドレスにスーツ。このコレクションでは、全ての服を既存の文脈から切り取って、記号を廃した単純な「モノ」として横並びにしています。色や形に原初的な意味などなく、そこに中心はなく、受け手にとってどこまでも選択的なのです。
男性服を解放し、全てをまっさらに均した上で、選択の自由を提供すること。そして、ファッションを通じて硬直した男性性に挑むこと。これこそが、ジョナサンなりの「ニュールック」なのだと感じました。無論、ただ一度のコレクションで即座に全てがひっくり返ることはないでしょう。しかし、ムッシュ・ディオールが戦後の女性達に「装いの喜び」をもたらした、元祖ニュールックが示す通り、ファッションには社会を変える、あるいは少なくともその変化を象徴する力を持っているのです。200年続くメンズファッションの城壁に風穴が空く日は迫っており、ダニエル・クレイグのドレス姿が見られる日もそう遠くないかもしれません。
伝統的なメンズウェアであるビスポークスーツにも、ゆっくりながら着実に変化をしてきた歴史があります。担い手である我々もこうした変化を意識しながら、時代ごとの実際に合ったご提案ができるよう努めていかなくてはなりません。記事をご覧になって早速オッドベストが欲しくなった方は、ぜひご相談くださいませ。次回は久しぶりに新作生地のご紹介です。それでは。