“I hope I seduced you all.”

15 Apr 2025

文:佐久友基

先日のパリファッションウィークでデビューした、Tom Fordの新ディレクター・Haider Ackermannは、バックステージでそう口にしたそう。

 

ここ数年見た中で、最も完成度の高いデビューコレクションだと、個人的には感じています。それはこの発言一つを取っても分かることです。同ブランドの核であり、あるいは全てとさえ言っていい価値観を、体現した言葉ではないでしょうか。彼はTom Fordというブランド、蠱惑的な創業者が一代で成した眩く妖しい官能の王国、その後継としてこれ以上ない方だと思うのです。

 

さて、今回からはそのTom Fordを始め、先般各地で披露された2025年秋冬のコレクションから、幾つかのルックをご紹介していきます。

 

クラシックスタイルの本丸とされるビスポークテーラーと、モードを司るハイファッションの世界は、相容れないと思われるかもしれません。しかし、モードが常にクラシックとの距離において測られる相対的なものであるだけでなく、相互に影響しあってきた歴史もあります。ビートルズの仕立て屋として有名なトミー・ナッターなどは、その先駆けと言えますね。

 

モードを知ることは、クラシックを理解する手助けになると思います。また、そこで得たアイデアをご自身の装いに落とし込むことにも、新鮮な楽しさがあるはずです。何にせよ、モードとは社会的な現象であり、生活の実際からそう遠いものではありません。誰しもに関わりのあることなのです。

 

とは言え、当店の製品と関係の薄い種類の服については、我々はそう多くを語れません。SHEETSは今のところスーツを主に扱う店ですから、テーラードスタイルに限ってご紹介するのが筋かと思います。

一つ目は冒頭のTom Fordから、シンプルなシャドーストライプのダークスーツです。コンケープドショルダーに高く細いウエスト、クラシックな着丈など、これぞ同ブランドといったスタイルです。素肌にスーツという色気のあるスタイリングもお馴染みのもの。

 

しかし、注目してほしいのは実はトラウザーズです。やや細身なシルエットですが、足元でたっぷりとブレイクさせています。この流れるようなドレープは、まさにアッカーマンの十八番です。Tom Fordらしいシャープで力強いラインと、アッカーマンの柔らかな生地表現が、見事に融合したルックだと思いました。

 

加えて、比較的コンパクトな襟も特徴的で、従前の同ブランドのグラマラスな雰囲気とは一味違う、禁欲的な緊張感がある気がします。彼が自身のブランドで表現していた凛とした静謐が、こうしたディテールにも表れていました。

メンズのルックからはコートを紹介しましょう。ラメのようなものが散りばめられた派手やかな生地が目を引きますが、こちらもやはりシルエットが肝だと感じます。長めのコートの裾から、ボリュームのあるトラウザーズに繋がる流れが美しいです。

 

また、8つボタンという配置も、チェスターフィールドコートとしては独特ではないでしょうか。グレートコートやピーコートなど、軍服由来のコートで見る仕様です。その出自ゆえに厳めしくなりそうな要素ですが、これもまた襟のシャープなデザインなどが中和しているように思います。

 

また例えば、こちらのバーバリーのコートも然りですが、コートに共生地のトラウザーズを合わせる2ピース、ないし3ピースの提案はよく見かけます。当店で積極的にお勧めした事はありませんが、取り入れやすいアイデアかもしれません。

ボタンの配置や襟の形・大きさ、上着と組下のシルエットの組み合わせなど、アッカーマンが見せたバランス感覚は興味深いものです。クラシックとされるはずの服が、ボタンの数一つでモードの顔つきになる、その良い例でもあったかと思います。

 

私がこの記事を通じて皆さまにお伝えしたかったことは、まさにその事なのです。我々が作るような類の服において、先に挙げたような少しの違いが、どれほど大きな効果を生むのかという事なのです。

 

それは同時に、クラシックなテーラードスタイルの可能性と限界について、感じて頂くという事でもあります。これは少し突飛すぎるな、これくらいなら職場でも着られるかも、といった感じで。皆様それぞれがボーダーを認識する良いキッカケになるのではと思いました。

 

その上で、いつもより少し襟を小さくしてみたりだとか、トラウザーズのブレイクを増やしてみたりといった風に、ビスポークスーツの楽しみ方も少し拡がるかもしれません。あるいは、クラシックとされるバランスの魅力を再確認できるかもしれません。

 

そのどちらであっても、記事をご覧いただいた皆さまの中で、何か小さな変化が起きていれば嬉しいです。今後も、スーツをギリギリ掠める内容であれば、何でも共有して参ります。ご興味があれば、ぜひまたご覧ください。

 

(余談ですが、アッカーマンのTom Fordは端から端まで素晴らしかったので、ぜひ端から端までご覧ください。おすすめです。)