雑器の美、スーツの美

12 Mar 2025

文:佐久友基

昨年、80年代初頭の物だというエルメスのカーディガンを買いました。もとよりスラブ糸で毛玉が目立たない事もありますが、40年の歳月を生き抜いた丈夫さを信頼し、遠慮なく着倒しています。

 

オートクチュールのドレスのような一部の例外を除いて、服が日常の道具であることは論を俟ちません。人の身体に従するものであり、その活動に仕えるものだと、少なくとも我々は考えています。以前、こちらで三宅一生氏をご紹介した際にも、同じことをお話しましたね。

 

毎日使うものには、それに堪えうる頑丈な性質が必要です。繊細であってはならないために、華美であってもなりませんが、その性質が故にむしろ美しい場合があります。いわゆる”用の美”というのものです。

 

「道具としての役割に適った性質を持つ物は自ずと美しい」といった旨の、民藝運動の祖である柳宗悦氏が説いた理念です。それらの性質を宗教的な道徳などと結びつけた点は独特ですが、バウハウスとも通じるモダンデザインの基礎たる考えと言えます。

「用いずば器は美しくならない。器は用いられて美しく、美しくなるが故に人は更にそれを用いる。器は仕えることによって美を増し、主は使うことによって愛を増すのである。」

 

彼の『雑器の美』という一編にあるこの文は、誰しも身に覚えがあるのではないでしょうか。新品の色が思い出せないような木の盆や傷やムラができた薬缶、服であれば褪せたジーンズがまさにその代表です。変色したり傷ついた物が価値を失うどころか、かえって愛着が深まるという例は数えきれません。

 

ただし、長年使えば何でも美しくなるというわけではないことも、皆さん経験があろうかと思います。私の考えるその要件の一つは、とにもかくにも頑丈であることです。

 

経年変化をする前に壊れては元も子もないのですから、頑丈さは必須であるはずです。新品のスーツを壁に叩きつけて味を出してから着たという、フレッド・アステアの逸話をご存知の方は多いでしょう。それは彼が懇意にしたAnderson & SheppardやKilgourの製品が、その扱いに耐えうる性質を持っていたことの証左でもあります。

 

耐久性のためのデザインが美しさを生んでいる例として、スーツのディテールから挙げるのであれば、一番分かりやすいのはボタンホールや閂でしょうか。いずれも生地の切り込み部を補強するデザインですが、絹糸を密に連ねることで生まれる艶やかで立体的な光の束は、まさしく用の美と呼べると思います。

当店の箱ポケットの作りについても、この流れでお話したいところなのですが、こちらを説明するとそれだけで一つの記事になってしまいますので、いつかの機会に譲ることにしましょう。何のことはなく見えますが、実はかなり手の込んだものなのです。弟子泣かせです。

 

表に見えない部分を含めると、耐久性のための工夫は数えきれません。地縫いのミシン一つ取ってもそうです。ちょっとやそっとでは壊れないよう、熟慮した製法です。あまり気を遣わずに着古して、用の美を積極的に楽しむのも宜しいかと思います。(壁に叩きつけるのは積極的にお勧めはしませんが…。)

 

さて、ご紹介した柳宗悦氏とその研究の凡そについては、ご存知の方が多いかと思いますが、あまりに有名で頻繁に引かれるために、著作までを読み込んだことはないという方もいらっしゃると思います。

 

幾つか読んでみましたが、率直に申し上げるとかなり冗長な文体で、お世辞にもあまり読みやすいとは言えません。しかし、『民藝四十年』という入門書は、どなたにもご一読いただきたいと思いました。

 

前述のような氏独自の美学をある程度網羅できる点が良いのですが、冒頭にある文化交流の重要性を説く論考が私は印象に残っています。現代の我々が今こそ胸に留めておくべき、大切なメッセージを含んでいると感じました。当店の事業と絡めて話すことは難しいので割愛を致しますが、ご興味がありましたらぜひどうぞ。

 

季節の変わり目、不調の出やすい時期でございます。皆さま、お体にはどうかお気をつけて。それでは、また次回。